空蝉(うつせみ)とは「セミの抜け殻」のことで、鬱(ウツ)になったセミのことではありません。実は「うつせみ」という大和言葉は、この意味とは別に「この世に生きている人」という意味もあります。この世はセミの抜け殻が歩きまわっとるのか?
weblio辞典には -生きている現実の人間の意味もあり古語「現人(うつしおみ)」が転じたものと言われている- とあり、同音でも言葉としては全く違うんですね。
はいはいはい、キーになる「うつ」の違いはこんな感じでしょうか。
空蝉のうつは「空」~うつろ(空ろ虚ろ)、空虚、空っぽなこと・・・・「現」のうつは現実、実世界、はっきりしていること・・・・んー、同じ音でも逆っぽい意味ですね。しかし私たちは意外にも両方を普通に使ってる感じがします。
「ユメかウツツか」は「夢か現か」と書き、夢なのか現実なのかわからない状態。
「うつつを抜かす」も「現を抜かす」で、何かに夢中になって現実を忘れている状態
「うつらうつら」すると? これを現現と書くと目がぱっちり開いてる感じ? ここは空や虚を用いてうつらうつらした方がそれっぽいですね。
ちなみに、先の「鬱(うつ)になったセミ」の「うつ」もこの関係じゃないか?と思ったのですが・・・ちょっと違うみたい。「鬱(うつ)」とは「草木が盛んに茂ること」の意で、「この森、木が鬱蒼(うっそう)と茂って暗いですなぁ」というアレ。鬱蒼には既に「茂る」という意味が入っているので「鬱蒼として暗いですなぁ」と言うべきか。
その例文みたいに、色んなものに塞がれて陽が差さないイメージから転じてでしょうか、「鬱」には「心が晴れず気がふさぐこと」の意も(こっちがメジャー)。日本語は難しい・・・大和言葉も若者言葉も難しすぎて無口になっている今日この頃のわたし。